2012年01月18日

初めての輸入

韓国への輸出の失敗第一号の教訓も生かされないまま、今度は勧告からの輸入の話になりました。

韓国からは、日本に売り込みたい製品や技術がまるでナイアガラの滝のようにあふれているので、

ことあるごとに、売り込んできます。でもこのエネルギーはすでに日本を越えていると実感しました。

朝の通勤時間帯の地下鉄の通路を行きかう人の歩く速さは日本よりも速いと感じたときは、

なんともいえない興奮というか感動というか、いまでも強く印象に残っています。

また、会社の社長という人に会うたびに、顔を合わすのはほとんど30代前後の若いひとばかり。

夜の酒場で会うホステスも日本語学校に通っている人が多く、資金をためたら日本に語学留学して

人生開きたいといっている。多くの若者が、日本語、英語を話し、貿易業務に精通しているという

ことを目の当たりにしたときは、私も頑張ろうと決意を新たにしたものです。

8年前くらいから、白色LEDが本格的に商品になってきて、私の本業の建設関係分野にも

広がってきた頃、看板用に使うネオン管に替えてLEDモジュールというのがではじめました。

ネオン工事は本当に手がかかり、ネオン工事士の資格も必要。そこで、このモジュールは、LED

を使うことで、施工手間の簡略化、工賃の圧縮、節電、長寿命といいこと尽くしなので、輸入すること

を決めました。このときは失敗の教訓がよぎり、加工工場を2社決めて、両方から輸入をはじめる

事としました。これは後に効を奏しました(1社は倒産したので)。

輸入の場合、特に外国では、会社は日本のように長年継続して存在することはきわめて少なく、

頻繁に合併吸収されたりするので、輸入をして日本での販売を考えるときは、必ず保険的に、仕入先

の確保をする必要があります。

初めて製品を輸入してみると、今度は日本の税関でストップ。多分当時はこういった製品の輸入

実績がなく、あれこれ本当に細かくチェックされ手がかかりました。

当時は国内販売するにも信用・実績がなくなかなかネオンの壁を破るのが大変。

特に設計事務所あたりでは新しいものを取り入れることへの拒否感が強く、また、

韓国産への不信感も根強く苦労の連続。

韓国のほうがよっぽどIT技術は進んでいると、心に思いながら、開拓精神を前面に出して国内での

実績作りに進みました。

その後、輸入も少しづつ始まりました。(円高で輸入は利益が倍増するのを実感しますが、国内の

輸入品の価格は下がりませんね)






Posted by 生涯現役 at 10:04│Comments(0)
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