2012年02月14日

国家戦略として語学習得

アジアのいたるところに、に日本の優秀な若者が進出して、

ビジネスの成功を収める。

というよりも、活き活きとした人生をすごしていく。

そこに、日本の使命があると考えています。

語学習得のために、国家戦略としての学校や教育訓練

をもっともっとやるべきでしょう。

台湾では今でも、日本語の漢字はものすごく勉強されているし

韓国でも、多くの若者が日本語をマスターすることで、

人生を開いていきたいと、一生懸命日本語を学んでいます。

台湾では、日本語の名前も持っている高齢者の方もたくさんいます。

(太平洋戦争の歴史の流れですが)

企業の中で埋没して生きていくよりも、自分しか歩めない

人生の軌跡を残していく生き方が求められていくような

気がします。  


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2012年02月02日

床暖房

韓国の伝統的な床暖房は、「オンドル」といわれていて

有名で、日本では床暖房は、生活文化としては、定着して

ませんでしたが、近年は、いくつかの方式の製品が、普及

してきています。

カーボンフィルムという発熱する、フィルムを使って、

床を暖める方式のものを輸入し、施工しています。

価格は、日本のメーカーのほぼ半額、簡単施工で、施工費

も圧縮できる、床の高さ調節不要という多くの利点があり

5年くらい前から輸入し、施工実績を少しづつ作ってきています。

新築はもちろん、リフォームにはとても都合がいいです。

特にマンションのリフォームには、床の高さを変えずに収まるので

ベリーグッド。。。



カーボンは、輻射熱を発熱するので、体のなかから温まるので

とても好評してます。


今年は、本格的に売り出したいと思っています




  


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2012年01月23日

台湾新幹線

5年前の春先に、製品製造会社との商談で台湾に言った際、

ちょうど開業間もない新幹線に乗る機会がありました。

開業までの詳しい経緯についてはほとんど情報を

把握していなかったので、ホームで列車が入ってきて、

日本の新幹線の車両と同じ形だったので、とても驚きました。

台中から空港のある桃園駅まで乗りました。いつものことながら

コンビニで弁当を探して、買い込み、車内で食べようとの

魂胆でしたが、なんと車内で食べ物を食べる乗客が一人も

いないので、ただ一人弁当を食べるわたしは、周りから不思議な

視線を浴びて、とても緊張した覚えがあります。

国を挙げて開業した新幹線(正式には台湾高速鉄道)で、乗客も

ほとんどがはじめて乗ってみたという感じの人たちばかりでして、

食べることよりも、車内で記念写真をとる人のほうが多かった

気がします。


私は、いつも乗っている座席とほとんど同じ感覚だったので、

むしろ違和感は全くなかったことと速さも”新幹線”という感じで

安心していました。韓国のKTXに乗ったときは、これまた開通間もない

頃だったために、高速運転はしないで、通常の列車くらいの

速さだったので、とても不満が残ったのをよく覚えています。

台湾に、日本の新幹線技術がはじめて輸出され、その国の発展に

日本の技術が貢献し、多くの人が喜んでいることを実感したものでした。


  


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2012年01月22日

はじめてのアフリカ

結局、勢いでアフリカ大陸にいくことになりました。

仕事のリスクはアリアリ、しかも規模はとても大きい。

こんな話は、まともに成立することはほとんどありえないのです。

日本からも、アフリカに進出している企業はほんのわずか。ほとんどが様子見。



野口英世が生涯をかけたガーナに行きました。

好奇心旺盛な私は、とにかくあのアフリカの大地をみることへの期待は

大きいものがありました。

ガーナはアフリカの中でも、民主化が早く進んだ国で、

治安も比較的安定しています。青年海外協力隊の事務所もありました。

黄熱病とマラリアの予防注射を打って、六本木のガーナ大使館から

ビザを発行してもらいいざ出発したのです。

イタリアで乗り換え、ナイジェリア経由で空港に到着。空港の入管では、

政府関係者が出迎えてくれて、スムーズに入国。

冷房の壊れたNISSANのRV車に乗り込んで首都アクラに入りました。


ことの顛末は後日にしますが、これからアフリカの時代がくるんだなあ

ということは実感しました。

現地の様子をよく知りたいので、高いホテルはではなく、地元の安い

ビジネスホテルのようなところに宿泊しました。

政府関係機関へのプレゼンテーションが目的でしたので、観光に歩く

時間はなかなかとれなっかったのですが、経済のみならず、

多くのものがこれから発展していくということが、

自分の目で見てよくわかりました。

でも、みんな生きるのに必死で、精一杯生きている。

そのうねりというかエネルギーはすごいものを感じました。

出来上がった組織のうえでいるのとは、全く異なり、すべて自分たちの力で、

開いていくんだという強さを感じるばかりでした。



ビジネスホテルの職員の女性の方が、私と同行していった、わが社の若い社員

と記念写真をリクエストして、ツーショット。

40代の私にはリクエストなしで、差別されたことが一番の思い出。(www)













  


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2012年01月21日

夢を抱いて

世界を舞台に仕事をしたい。。。

世界中の人が幸せに暮らせるようなことに

貢献できる仕事をしたい。 笑っちゃうような話ですが、

そんな夢と希望を今でも持ち続けています。

平和なんてそんな簡単なことではないですが、でもわずかな

ことでも貢献しようと言う思いの人が1人でも増えていかないと

平和も実現しないです。自分はその、ほんのわずかなことの

1つにでも貢献できればと思っています。

こんな思いは、チャンスがあればというアンテナになっていろんな

ことに目を向けてしまうので、その本質が見えなくなり、失敗するのです。

韓国を行き来するうちに、指紋認証技術を持った会社と出会いました。

いつものことながら、韓国でのIT関連技術は日本よりも進んでいるという

ことが念頭にあるのでこの指紋認証技術に目を向けるようになりました。

当時日本では、「指紋」という文化に対してはマイナスイメージが強く

パソコンの起動に利用することさえ、導入されていなかったころです。

樹脂で偽造して作った指紋に対しても正確に判断するいわゆる

バイオメトリクス技術も取り入れたものでした。今では日本では、日立などが

開発に先行したので、普及してますけど。。

結局、この会社の開発したマシンを日本に入れようとしましたが、日本の

大手メーカーの検査に不合格。残念無念の結果となりました。

技術というのは、何十年の積み重ねの上に成り立つものであって、そんな簡単に

できるものではないということを、持論にしていながら安くていい技術があれば

目を向けてしまうという自分の欠点を知ることが大切でした。

ところが、この指紋認証技術は、ガーナ人の貿易商と出会うことで、

その後アフリカに商談が進むことに行くことになるのです。







  


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2012年01月20日

韓国のコンビニ

仕事で韓国に行くときは、なるべくコンビニにも立ち寄って、買い物を

することを心がけています(ファミマがほとんど)。

おにぎり、カップめん、スナック、ビール、水、おつまみなどを買ってみます。

会社の名前も覚えるようになります。

キムチは「宗家」のキムチがお気に入りです。韓国内でも老舗ですね。日本でも

「宗家」のキムチをおいてるスーパーもいくつかありました。韓国からエンジニアの

人を呼んで、1週間くらい、日本に滞在したときはこの「宗家」のキムチを食いたい

といわれ、いろいろ探したので、学習しました。

土産話ばかりですが、気晴らしで書いてますので。。。。

テヘラン通りにあるハミルトン・シャツというオーダーワイシャツ専門店があります。

オーダーワイシャツですが価格はリーズナブルです。一度注文すると、採寸データがあるので

店に行かなくても注文できます。現地の友人にプレゼントしてもっらたこともあり、

自分は、なんとなくお気に入りです。



















  


Posted by 生涯現役 at 15:35Comments(0)

2012年01月19日

時代の先取り

LEDモジュールの輸入の頃には、同時に他の製品・技術の輸入の計画も進めていました。

結局、輸入といっても、日本国内での販路の確保ができていないと、輸入する意味が

ので、うちのような個人商店規模の会社が、韓国での製品、技術のチェックと日本国内での、

営業開発を同時並行でやることは、大変なことでしたが、小さい会社だからこそ、貿易で

生き延びなければつぶれてしまうという信念を持っています。

携帯電話を車に乗るときに、専用のアタッチメントに装着すると、カーナビになるもの

はかなり早くから普及していましたし、いわゆるお財布携帯は日本よりも2~3年早く

導入されていましたね。

そういえば、ソウルの交通渋滞は慢性的なものがありますが、朝の通学時間帯は、

タクシーの運転手の方々が、交代で交通整理をしているという話を伺い、感動しました。

また、当時韓国の貿易パートナーの方に連れて行ってもらった飲食店で、印象強く

残っている1つに「どじょう料理店」があります。韓国では「ミクラジ」といいます。

日本の食べ方とはちょっと違いますが、てんぷらのように揚げて食べます。

とてもおいしかったので、その後、何度も食べに行きました。

今思うと、「どじょう」政権が誕生する何年も前に食べていたということは、

これも時代の先取りだったのでしょうか。。。(おやじ的ギャグ)


  


Posted by 生涯現役 at 16:52Comments(1)

2012年01月18日

初めての輸入

韓国への輸出の失敗第一号の教訓も生かされないまま、今度は勧告からの輸入の話になりました。

韓国からは、日本に売り込みたい製品や技術がまるでナイアガラの滝のようにあふれているので、

ことあるごとに、売り込んできます。でもこのエネルギーはすでに日本を越えていると実感しました。

朝の通勤時間帯の地下鉄の通路を行きかう人の歩く速さは日本よりも速いと感じたときは、

なんともいえない興奮というか感動というか、いまでも強く印象に残っています。

また、会社の社長という人に会うたびに、顔を合わすのはほとんど30代前後の若いひとばかり。

夜の酒場で会うホステスも日本語学校に通っている人が多く、資金をためたら日本に語学留学して

人生開きたいといっている。多くの若者が、日本語、英語を話し、貿易業務に精通しているという

ことを目の当たりにしたときは、私も頑張ろうと決意を新たにしたものです。

8年前くらいから、白色LEDが本格的に商品になってきて、私の本業の建設関係分野にも

広がってきた頃、看板用に使うネオン管に替えてLEDモジュールというのがではじめました。

ネオン工事は本当に手がかかり、ネオン工事士の資格も必要。そこで、このモジュールは、LED

を使うことで、施工手間の簡略化、工賃の圧縮、節電、長寿命といいこと尽くしなので、輸入すること

を決めました。このときは失敗の教訓がよぎり、加工工場を2社決めて、両方から輸入をはじめる

事としました。これは後に効を奏しました(1社は倒産したので)。

輸入の場合、特に外国では、会社は日本のように長年継続して存在することはきわめて少なく、

頻繁に合併吸収されたりするので、輸入をして日本での販売を考えるときは、必ず保険的に、仕入先

の確保をする必要があります。

初めて製品を輸入してみると、今度は日本の税関でストップ。多分当時はこういった製品の輸入

実績がなく、あれこれ本当に細かくチェックされ手がかかりました。

当時は国内販売するにも信用・実績がなくなかなかネオンの壁を破るのが大変。

特に設計事務所あたりでは新しいものを取り入れることへの拒否感が強く、また、

韓国産への不信感も根強く苦労の連続。

韓国のほうがよっぽどIT技術は進んでいると、心に思いながら、開拓精神を前面に出して国内での

実績作りに進みました。

その後、輸入も少しづつ始まりました。(円高で輸入は利益が倍増するのを実感しますが、国内の

輸入品の価格は下がりませんね)



  


Posted by 生涯現役 at 10:04Comments(0)

2012年01月17日

初めての韓国

印刷関係の機械を輸出したことがきっかけとなり、韓国の貿易商と知り合いになり

その他の製品の貿易をすることになりました。

折りしも、日本は「にがり」ブームで、健康食品に興味のあった私は、たまたま入居

していた事務所のフロアに化粧品を開発している会社があり、その会社のブランドの

「にがり」製品を韓国に売り込みました。

全く市場も、韓国のパートナーの力量もわからないまま突入。

KFDA:いわゆる韓国食料庁の規制が厳しく、かつ、かっても判らず、結局「にがり」製品の

輸出はできませんでした。

海水は食料として認めないというのが韓国の見解でした。

韓国に足を運び、いろいろな会社を回りましたが、惨敗。。。。

仕入れたインドネシア深層水の入浴剤は不良在庫にねむり、自分が使い続けることになりました.

これで、生涯、入浴剤には困らないという幸せな境遇になりました(WWW)
  


Posted by 生涯現役 at 09:30Comments(0)

2012年01月16日

初めての輸出

独立して初めての輸出は、印刷関係の機械を韓国に輸出しました。

北九州まで陸送、韓釜フェリーにて輸送。出荷時の書類の準備など、

久しぶりの輸出の仕事だったので、手がかかったような記憶があります。

これで、韓国との貿易が始まりました。

当時の為替レートは1$120円前後ですから、いまのレートでは、とても

勝てないですね。

  


Posted by 生涯現役 at 10:23Comments(0)

2012年01月15日

青雲の志

人生折り返し地点というか50歳をすぎたのに、いまだ懲りずに明日を

夢見て挑戦している毎日です。

人の失敗談など興味がないかと思いますが、自分の失敗が何か少しでも

参考になることもあるかと思い、気ままに書くことにしました。


ほぼ35年くらい前、高校生だった私は、暇があれば大桟橋や馬車道

あたりをうろついて、接岸した船から下りてくる外国の船員相手に

英語で話しかけて、会話を楽しみながら練習していました。

静岡(浜松)で学生時代を過ごしていた頃は、バイト先のレストランで

頻繁に出入りする韓国や、アメリカのお客相手に注文をとる役目でした。

就職は知り合いの先輩に紹介されて、ゲーム機(アーケード機)の中古

を輸出する会社に入り初めて貿易という仕事にかかわりました。

当時は、メールなどはなくテレックスで、ぶつぶつ穴のあいた紙のリボン

を通信機に通しながら連絡をすることと、夜中に電話で相手と話をする

毎日でした。

その会社を4年勤めたあと転職し建設関係のメーカーに10年勤めて

1999年に独立。2002年から貿易の仕事が少しづつ始まりました。

横浜で育ったのだから、貿易の仕事は自分への課題の1つとして心に

刻まれているようです。(つづく)









  


Posted by 生涯現役 at 15:23Comments(0)